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1.守秘義務違反について
今回の内部告発疑惑について、一部には「守秘義務違反じゃないのか」との声をあげる人たちがいるようだが、これほど的はずれで法的無知を露呈した発言はない、と考える。
地公法34条及び国公法100条は「職員は、職務上知り得た秘密を漏らしてはならない」と規定するが、そもそも法が予定した「職務」とは、適法かつ正当な職務を言うのであり、今回のような「改ざん」 という犯罪行為や違法な職務を含むものではない。
また「秘密」とは、一般に知らせることが一定の利益の侵害になると客観的に考えられるものを言うであり、実質的にもそれを秘密として保護するに価すると認められるものを言うのである(判例 同旨)。
したがって、「改ざん」という事実を漏らした行為は、決して「秘密を漏らした」という行為にはあたらない。このことからも解るように、我々には違法ナ行為についてまでの守秘義務などは科せられていないのである。「告発した職員を議会場に呼び出し説明させよ」などと、彼らにも処分の矛先を向けるなど筋違いもはなはだしい。その詳細な根拠は、3(刑法理論の項)で説明する。
私は、これ以上市民の信頼を失わないようにと、今回の不正を断固許さずあえて内部告発をしたとされる環境部の人たちの勇気と英断に、拍手を贈りたい。単なる役所サイドのイエスアンではなく、市民サイドに立った不正を許さぬ彼らの良識は称賛に価するものだ、と考える。
2.改ざんの指示について
『環境部長は「0.0006r/gの数値を公表すると業務の混乱を招く」と判断して改ざんを指示した』と新聞報道にあるが、この感覚に驚くのは私だけではあるまい。
一般の職員ならば、公文書に「改ざん」という犯罪行為を指示することこそ業務の混乱を招く、と考えるはず。しかも総務委員会のわずか30分という休憩時間に資料の改ざんを行い、再開後にそしらぬ顔で委員らに配布するなど、とても考えられないことだ。こうした「早わざ」は、おそらくこれまでに何度も違法な資料の差し替えを経験した訓練の賜物か、改ざんプロの自信のなせる業か、たまたま今回「上手の手から水が漏れた」のか、と勘ぐりたくなる。
いい方に考えると、これまでの議会対策上、誤字脱字等の資料の差し替えを何度も経験するうち 「改ざん」という犯罪行為さえも単なる字の間違いと同様に感じたのだろうか。私ならば、事実は事実として率直にその数値を公表し「この事業については、もうしばらく時期を見合わせましょう」と勇気ある撤退を上司に進言するか、「市長及び議会に一応ゲタを預け、最終判断を仰ぎましょう」と言うところだ。
3.刑法理論について
(1)社会的法益に対する罪
刑法は、264条を要して各種の犯罪類型を規定するが、講学上、刑法各論では、@個人的法益に対する罪、A社会的法益に対する罪、B国家的法益に対する罪、に3分類する。
@は個人の生命、身体の自由及び財産等を侵す罪を規定する。殺人罪、傷害罪、強姦罪、窃盗罪、強盗罪、詐欺罪などが代表例である。Bは国家の存立や国家の作用に対する罪である。内乱罪、公務執行妨害罪、偽証罪、そして賄賂罪など。
Aは、a公共の平穏、b公共の信用、c公衆の健康、d風俗、をそれぞれ侵害する罪について規定するが、今回の虚偽公文書作成罪、同行使罪はbに該当する。Aの代表例としてa放火罪、b通貨偽造罪、c水道毒物混入罪や阿片煙輸入罪、d公然わいせつ罪や賭博罪などがある。
(2)偽造と変造
文書の偽造とは、作成名義を偽った新たな文書を作ることであり、一般人が真正な文書と誤信する程度の外観を作り出すことが必要である。一方、変造とは、真正に作成された文書の非本質的な部分に権限なく変更を加えて、文書に新たな証明力を加えることをいう。偽造との区別は、新たな文書を作り出したとみられるか、内容の一部変更にとどまるか、で決まる。今回のように、作成権限のある者が、既存文書の内容を「改ざん」して虚偽の証明方を作り出す場合については、「変造」の語が用いられている(刑156条)。
なお、公文書偽造罪(刑155条)は、@非公務員が公文書を作成した場合や、A公務員でも、その作成権限に属しない文書をほしいままに作成した場合に該当する。
一方、虚偽公文書作成罪(刑156条)は、「公務員が、その職務に関し、行使の目的で、虚偽の文書もしくは図画を作成し、または文書もしくは図画を変造したとき」に該当するとされる。犯人の主体は、文書を作成する権限を有する公務員でなければならない。そのため、公務員でも、なんら職務と関係なく、その権限外の事項について虚偽の文書を作成するときは、本罪ではなく、公文書偽造罪にあたる。また、作成補助者である公務員が、作成権者の決裁を受けることなくほしいままに文書を作成する行為も、公文書偽造罪にあたる。
以上から、今回の「改ざん」事件は、虚偽公文書作成罪に該当し、「無期または3年以上の懲役に処する」とされる。公文書偽造罪が「1年以上10年以下の懲役」とされるのに比して、虚偽公文書作成罪の方がより重く処罰されるのは、公務員が作成する公文書の社会的信用度の高さからである。ちなみに、単純収賄罪(刑197条)は「5年以下の懲役」にすぎない。
また今回、環境部長は、その文書を真正に成立したものとして総務委員会に交付、提示し、その内容を委員に認識しうる状態においているので、虚偽公文書行使罪(刑l58条:「虚偽公文書作成罪と同一の刑に処する」)も成立し、両罪は刑法54条が規定する牽連(けんれん)犯(【注】例えば、住居侵入と窃盗のように、二つの犯罪が手段と目的、または原因と結果の関係にある場合をいう)となる。この牽連犯は科刑上一罪として、最も重い刑(【注】の例では窃盗罪)によって処断されることになる。
(3)間接正犯
他人を道具として利用することによって犯罪を実現する場合を「間接正犯」という。例えば、医師が事情を知らない看護婦を使って患者を毒殺させるような場合とか、親が、父親の日頃の言動に恐れをなして意思を抑圧されている状態の小児を使って、窃盗を実現する場合など、がそれにあたる。も
ちろん看護婦や小児は不可罰である。
そこで、今回の虚偽公文書作成罪に、この間接正犯の判例理論を認めることができるかどうかだが、一部の学者間で争いはあるも、@作成権限を有する公務員が二人以上ある場合に、その一人が他の作成権者である公務員を利用して虚偽公文書を作成させる場合や、A作成権者である公務員が、作成権限のない他の公務員を手足として虚偽の公文書を作成させる場合には、本罪の間接正犯が成立しうることは当然である(通説)、とされている。
以上のことから、今回の「改ざん」事件を考えると、少なくとも環境部長は、環境部の職員に改ざんの指示を与え、職員を自分の手足のごとく使って虚偽公文書を作成しているのである。したがって、部長には本罪の間接正犯が成立し、手足とされた環境部の職員らは不可罰ということになる。
(4)教唆犯(きょうさはん)……(【注】他人をそそのかすこと)
刑法61条1項は「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する」と規定する。この教唆犯が成立するためには、@教唆者が人(正犯)を教唆することと、Aそれに基づいて被教唆者(正犯)が犯罪を実行すること、を要する。
上述の間接正犯も正犯である。今回の事件では、水道局長が環境部長に指示を与えたとの疑惑があるようだが、仮に疑惑のとおり、水道局長が正犯者たる環境部長に指示を与えたとなると、この条文が規定するように、水道局長には虚偽公文書作成罪の教唆犯が成立することになる。
また刑法61条2項は、「教唆者を教唆した者についても、前項と同様にする(正犯の刑を科する)」と規定する。そこで仮に、水道局長以下にさらに指示を与えた上層部がいるとすると、今度はこの条文が適用されて、間接教唆者たる上層部も同罪ということになる。
以上のように今回の事件は、刑法理論上は、柴田議員が指摘したような「役所内の組織的な犯罪」が成立する余地も十分に考えられることになる。
(5)共同正犯
刑法60条は「二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする」と規定する。共同正犯の主要な意義は「一部実行、全部責任の原則」にある。
この共同正犯が成立するためには、@共同実行の意思(主観的要件)と、A共同実行の事実(客観的要件)とが必要とされる。
@は、二人以上の行為者が共同して実行行為を行おうとする意思、すなわち相互的にそれぞれの行為を利用補充し合おうとする意思をいう。行為者相互間に暗黙の認識があれば足りる(判例)とされる。
Aは、実行行為の分担など、ニ人以上の者が共同してある犯罪を実行する事実をいう。例えば、AがB女を強姦している際、Cが共同の意思をもってB女の手足を押さえていた場合、Aに強姦罪が成立するのは当然だが、Cには強姦罪の共同正犯が成立する。仮にDが見張り行為をしていた場合でも、Dにも強姦罪の共同正犯が成立する(判例)とされている。
そこで今回の事件を考えると、(2)で前述したとおり、環境部長は虚偽公文書を真正に成立したものとして総務委員会に交付、提示し、その内容を委員に認識しうる状態においている(行使があったといえる)。一方、水道局長は、その文書に基づいて委員会ですべての説明を行っている(それぞれの行為を利用補充したといえる)。
したがって、通常、二人には「数値を公表すると業務の混乱を招く」との明示もしくは暗黙の了解があったと考えられる(少なくとも「未必の故意」は認められよう)ことから、刑法理論的には、水道局長には虚偽公文書行使罪の共同正犯が成立する、ということができよう。
しかし、これから先のことは、警察や検察当局の詳細な調査に委ねるほかはないだろう。
※「未必の故意」…犯罪の結果発生の可能性を認識し、しかも発生すればしてもよいという認容があること。犯罪の結果発生を確実なものと認識している「確定的故意」とは区別されるが、未必の故意があれば故意犯が成立する。