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ドキュメント'97(日本系、22日深夜)
「”犯人”にされた私」
(テレビ信州製作)
静かな話しぶり、深い憤り込める
松本サリン事件(一九九四年六月二十七日)の第一発見者河野義行さんが犯人であるかのように報道された問題を、テレビ局側から自省的にふりかえる番組でした。製作テレビ信州。
河野さんはサリン被害でいまなお病床にある妻を見舞う合間を縫って、週末には報道被害の体験について精力的に講演して回っています。河野さんの訴えたい気持ちの強さと、真実を体験者から直接聞きたいと願う人々の誠実さを感じさせました。
河野さんは遠方の小さな集いにでも出かけ、静かな話しぶりで、犯人に仕立てようとした警察やマスコミにたいする深い憤り、二度とえん罪や報道被害を起こしてはならないという強い気持ちを語っていました。
警察の裏情報に踊った報道責任
30分間の短い番組でしたが、問題の本質をえぐりだしていました。
第一は、警察の誤った捜査方針、報道操作があったことです。警察は正式な記者会見では河野さんへの疑惑をにおわせるだけでした。それだけでも不当ですが、非公式な場面ではもっと踏み込んで、河野さんが「犯人」だと断定し、裏表の靖報を「使い分けていた」というのです。重大な人権侵害です。
松本サリン事件の翌年3月、地下鉄サリン事件が起き、両方ともオウム真理教の組織的犯行と断定されるに至ったのです。
第二は、報道陣が当初の警察情報を吟味することなく、うのみにして、河野さんを迫いかけ、経歴や自宅の様子を尾ひれをつけて意味ありげに報道したことです。河野さんは、こうしたマスコミについて「警察と同じ体質」と糾弾していました。
双方のいい分のら列では不十分
番組では、テレビ信州の記者と河野さんのやりとりがありました。
記者は、事件当時の自分たちの報道を振り返って、警察と河野さんの弁護士との双方の見方を報道したという意味のことをのべました。これにたいして河野さんは即座に「ら列じゃないですか。クロスしていない」と答えていました。
一方的報道が公正さに欠けることはもちろんのこと、単に双方のいい分を並べるだけでは.不十分で、相互のいい分をかみ合わせてこそ公正なのです。重要な視点でした。
松本サリン事件の報道被害でもうひとつ問われたのは、矢われた名誉がすみやかに回復されなかった問題です。放送局は放送ずみ番組を見せようとせず検証が難航しました。こうした問題にも踏み込んでほしかったと思います。 (久)
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