「原爆落下中心碑問題」を考えるシンポジウム
1 日 時 2月22日(土)午後1時30分〜4時30分まで
2 会 場 長崎県自治会館講堂(5階)
3 主 催 日本共産党長崎市議会議員団・同党長崎地区委員会
4 シンポジウム
(1)午後1時30分 開会
あいさつ 柴田朴・日本共産党長崎市議団団長
(2)シンポジウム討論
司 会 堀江ひとみ市会議員
山本誠一市会議員
(運営委員 中田ごう市議、寺田善則・原口敏彦・党地区常任委員) 報告者
報告者
山田拓民氏(長崎被災協事務局長)
<原爆中心碑にたいする被爆者のおもい>
内田 伯氏(長崎証言の会代表委員)
<被爆直前の松山町と戦後の復興計画を語る>
竹下芙美氏(平和公園の被爆遺構を保存する会代表) <被爆遺構保存運動にかかわって>
今田斐男氏(宗教者)
<中心碑とは何か、宗教者の立場から>
原 章夫氏(弁護士)
<中心碑署名簿電算化問題と市個人情報保護条例>
(3)参加者との意見交流(多数の発言をいただくためご意見は1人5分以内 ※発言される方は「発言希望書」を運営委員に提出して下さい。
(4)午後4時30分 閉会
あいさつ 石川悟・日本共産党長崎地区委員会委員長
5 会場内に黒崎晴生氏が撮影した中心碑撤去反対運動を中心とした写真と長崎原水協の「長崎原爆写真パネル17枚」を展示します。
6 終了後、感想文を受け付けにお渡してください。
「1997年度予算編成に当っての要望書への回答」より
96年12月24日提出 97年 2月 7日回答
<要望事項>
日本共産党長崎地区委員会・日本共産党長崎市議団
原爆中心碑は、市民や被爆者団体が要求している現在の中心碑を生かし、発注している母子像は別途活用をはかること。また市長は市民の「見直し」署名をコンピューターに入力したとの報道があるが、ことの真相を明らかにすること。
<回答要旨>
長崎市都市計画部公園縁地課
平和公園整備事業は、被爆50周年記念事業の一環として、祈念像地区、長崎原爆資料館地区、中心地地区の整備を行っています。
平和公園の整備につきましては、「平和公園聖域化検討委員会により、記念像地区を「願いのゾーン」、長崎原爆資料館地区を「学びのゾーン」とすること、また、中心地地区はΓ祈りのゾーン」として聖域化を図ることが報告されています。
その後、これを受けて、「平和公園再整備検討委員会」により「祈りのゾーン」である中心地地区は、原爆落下の史実を伝える空間(伝承空間)として、また、原爆により亡くなられた人々の冥福と平和を祈る空間(祈りの空間)として整備を行うことが報告されています。
また、原爆落下中心碑につきまLては、原爆殉難者名簿奉安箱を祈念像地区から中心地地区へ移し、中心碑と奉安箱を一体化したモニュメントを置き、祈りのシンボルとすることとし、頭を垂れて被爆者の冥福を祈る対象物」として、また、上空を仰ぎ披爆の史実を記憶し、平和への決意を新たにする場所」として位置付けられています。
この2つの委員会の報告書に基づき、その悲惨な史実を後世に伝えるとともに、命を奪われた多くの方々のご冥福を祈り、平和を祈念するため、原爆落下中心地点の位置は変更することなくその場所に新たなモニュメントを建立することとし、市議会の承認を得ながら事業を進めてまいりました。
しかしながら、この原爆落下中心碑につきましては、慰霊碑として折りを捧げてきたという考え方から、中心碑移設反対の声が上がり、2度の請願を始め、反対署名や手紙などが、市に対して寄せられました。
請願については、不採択となりましたが、その後も賛成の声や反対の声が市へ寄せられ、市としましては、事業の説明やPRなどを行うとともに、反対をされる「市民連絡会」の方々との話し合いを行ってまいりました。
そして、平成9年1月24日には、市議会5会派の代表者の話し合いを経て、「現在の中心碑と新たな中心碑は中心地地区内の中心地点以外の適地に投置し、中心地点に設置するものについては、中立的な委員で構成する新たな協議会を設置し、市民的な合意を形成する」という、市議会議長私案が提出されました。
市としましても、この議長私案につきましては重く受けとめ、市の内部でさらに慎重に協議を進めてまいりました。
その結果、行政と被爆者、市民団体との対立をこれ以上長びかせることは、被爆行政をはじめ、市政運営全般に支障をきたす恐れがあることから、平成9年2月1日、市議会代表者会議の了承を受け、現在の中心碑をそのまま現在地点に残し、新たなモニュメントは、中心地区の別の場所に置くよう計画を変更することとしました。
次ぎに、署名簿の電算処理の件についてでありますが、これは市内分の署名のみ入力作業を卓上パソコンで行い、その集計処理について汎用コンピューターを使用したものであり、入力したものは市内分の氏名、住所だけであります。
集計については、@市内分の総数、A市内分の署名簿の重複数、B市内分の世帯数であり、出力して得られたものは、個人が特定される資料ではなく、これらの数値であります。
これらの数値は、12月市議会の建設水道委員会の中で審議されることになっておりました請願におきまして、委員より質問が出ると予想されたために、人数を把握したいということから行ったものであります。
電算処理を行いましたのは、署名が提出されてから委員会までの期間が短かったことから、時間短縮の手段とLて利用したものであります。
また、氏名、住所のみを一端入力しましたが、数値が出た段階で消去しており、保護すべき個人情報は全く無い状態であります。
以上のように、今回の電算処理につきましては、個人の情報を調査したものではなく、市内居住者の重複数や世帯数などの数値を把握しただけでありますので、「長崎市電子計算粗織の運営に係る個人情報の保護に関する条例」には抵触しないと考えており、基本的人権につきましても、人数を集計することで人権が侵害されることは考えられませんので、憲法に定められた思想信条の自由も浸していないものと考えています。
平和公園につきましては、今後とも、市民の皆様にとってより良い公園となりますよう、整備を進めていきたいと考えていますので、ご理解とご協力をお願いします。
原爆投下中心碑問題に関する申入れ
日本共産党長崎市議団は、去る七月にも中心碑問題で再検討の申し入れをおこないました。その後も、被爆者四団体や、宗教団体など多くの市民から再検討の申し入れが続いています。
市長はなぜ、こうした市民の声に耳を傾けようとしないのでしょうか。市長が取り続けている態度は、もはや地方自治体の長にあるまじき行動と断言せざるをえません。議会や市民団体からもくりかえし指摘されているように平和公園聖域化検討委員会でも、公園全体の聖域化については、具体的な提言がなされているが、原爆投下中心碑については、その建て替えなど全く触れていないにもかかわらず、市当局の内部協議で、これまでの抽象的な碑を偶像に替えることを決め、市民にたいしてなぜ偶像に替える必要があったのか、その理由一ついて全く説明されていないのであります。
市長はこの中心碑を単なる原爆の落下地点を示す標識だと考えているようですが、多くの被爆者や市民は五〇年経過した今日、中心碑は被爆死した多くの人々の墓標的存在になっているのであります。ここに、市長の根本的な認識の違いがあると考えます。被爆者団体は、市長がこれを強行するならば、今後、死没者名簿を奉安しないとまで言明しています。このような深刻な訴えにたいして、耳をかそうとしないで、中心碑建て替えを強行することにどのような意義があるのでしょうか。
しかも、中心碑建て替えの見直しを求める市民団体が提出した署名の一部を分析のためと称して電算処理するということは、長崎市の条例でも明記されているように「個人の思想、信条、宗教、犯罪その他の市民の基本的人権を侵すおそれのある事項を電子計算組織に記録してはならない・・」とする憲法にもとづく基本的人権を侵害する行為であり、絶対に許されません。
以上の立場から次のことを要求するものです。
記
一、反対署名を電子計算組織に記録した真相を市民の前に明らかにし、謝罪すること。
二、市民的合意を得られない段階で中心碑建替えの工事は直ちに中止すること。
三、被爆者団体をはじめ関係団体と十分な話し合いをすすめ、市民的合意を得るために全力をつくすこと。
一九九六年十二月二十四日
日本共産党長崎市議会議員団
団長 柴田 朴
長崎市長 伊藤一長様
原爆落下中心碑建て替えについての申し入れ書
長崎市が松山公園の整備計画を発表して以来、多くの団体や市民から中心碑のあり方について白紙撤回や再検討を求める声が強くなっています。
これにたいして、市当局は、先の平和公園聖域化検討委員会で審議していること、さらに、三月定例市議会でも中心碑関連予算については、全会一致で決定したことなどを根拠に、あくまでも計画通り進める姿勢を変えていません。
日本共産党市議団は、三月議会での論議の経過、その後市民や各団体から市長に出されている要求内容など、つぶさに検討してきました。その結果、党市議団も含めて市議会での論議の不十分さを率直に反省しました。
今日、多くの市民や団体が、「行政にたいして求めているものは何か」を深く受け止めることが大切だと考えます。それは、この原爆落下中心碑がこれまで長崎市民はもちろんのこと、観光に訪れた多くの人々も含めて、宗教宗派を越えて自然に頭を垂れながら原爆の犠牲となられた方々に思いをよせ、二度と再び核兵器を許してはならないと誓いを新たにする場所として、それにふさわしいものでなくてはならないと主張しているのです。
被爆後五十年が経過しましたが、これまで原爆落下中心碑は、そのような意味で訪れる人が何の違和感もなく自然に頭を下げることができたと思います。
ところが、このたびの新しいモニュメント(母子像)は、宗教の連いや訪れる人によっては、いろいろな意味合いをもってくると考えます。市当局は、議会答弁のなかで、「無宗教的立場から母子像にした」と答えましたが、それは逆ではないかと考えます。これまでの抽象的なものから偶像的なものに変える時点で、関係者の間でどのような深い論議がなされたのか疑問であります。
問題の性質からして、思想、信条、信仰の自由にもかかわる内容が含まれているだけに、十分な検討が必要であり、このまま市長が押し切っていくならば、将来に、取り返しのつかない禍根を残すことになると考えます。
したがって、党市議団は、現在の計画を白紙に戻し再検討を強く求めるものです。
一九九六年七月四日
日本共産党長崎市議会議員団
団 長 柴田 朴
長崎市長
伊藤 一長様