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1997/6/27 しんぶん赤旗

ベトナム戦争・米越シンポ終わる


米国の誤りが随所に


マクナマラ元国防長官

”独立の意思読めず”


  【ハノイ23日、井上寛記者】
 十九日からベトナムの首都ハノイで開かれていた、ベトナム戦争の教訓をくみ取るための米・越元政府高官・軍人・学者らによるシンポウムが23日終わりました。同シンポは、第2次大戦後最大の戦争となったこの戦争の悲劇を二十一世紀に2度とくりかえさないようにとの趣旨で開かれました。共通の教訓を共同発表するには至りませんでしたが、米国のベトナム政策の誤りが随所で明確になったのが特色でした。
 このシンポは米ブラウン大学ワトソン国際研究所とベトナム外務省傘下の国際関係研究所が共同主催したもの。23日、ベトナム側のチャン・クアン・コ元外務次官と米側のマクナマラ元国防長官が共同記者会見し、双方とも戦争過程でのお互いの考え方がわかりあえたことを評価しました。
 マクナマラ氏は、米国側にベトナムにたいする評価、戦争の回避、早期終結で何度か評価、判断、決裁上の誤りがあったことを改めて時代の順を追って回想。その誤りの背景にある考え方として、ソ連、中国の拡張の意図を過大視して「どんな犠牲を払っても独立・統一を得ようとするベトナム人の意思が理解できなかった」とのべました。
 同氏が、ベトナム側も六五年から六七年にかけて「交渉の好機を逸した」などと双方に誤りがあったとのべたことを受けてコ元外務次官は、「爆弾・砲弾の圧力のもとで交渉をやっても結果はでないことを知っていた。好機を逃したのではない」と語りました。
 同時にコ氏は、「歴史の中で両国が戦争に向かわない一つの好機があった。それは、一九四五年にベトナムがトルーマン米大統領にたいし、ベトナムの独立を支援するよう求めたときだ。しかし彼はそれを拒否し、逆に仏植民地主義者を支援した。第二は、統一選挙をうたった五四年のジュネーブ協定に調印しなかった」ことをあげ、「好機を逸したのがどちらの側か明確だ」と語りました。
 なお、このシンポの個々人の見解はいまのところ公表されないことになっています,今後さらに新しいシンポを開くかどうかも決まっていません。
 現在米政権は、ベトナム戦争を正義の戦争と主張して一国覇権主義を追求していますが、シンポは正義の主張が欺まんであることを改めて示す結果になりました。

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