あとがき

 妙行寺の除夜の鐘と大浦諏訪神社初詣がここ10年来の年越しパターンだったのですが、21世紀への年越しは爆心地公園での黙祷の中迎えました。NGO会議で知り合った仲間によるピースウォークの集結集会が行われ、彼らが運んだ広島の火と、誓いの火によるキャンドル・ライトアップにお付合いさせていただいたものです。自分に相応しい場所だったとは思うのですが、このような企画がなければ、そしてそれを知らなければ、新年の午前0時は「にちらん広場」にいたはずでした。

 連載をお読みいただいた方から、「楽しみに読ませてもらっていますよ。がんばって書いてください。」などの励ましをいただきました。最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。インターネットでも公開していますので、ご意見・ご感想をお寄せください。
 (※ 市従組ホームページ からリンクしています)

 20世紀最後の年に開かれた歴史的集会が、一長崎市民である自分に与えた影響は実に強烈なものであったと、この手記を書き上げて再確認しています。

 最後に、温かく支えていただいた職場の皆さん、家族に心から感謝します。

RETURN


 2000年12月28日、長崎市議会議場で事務納め式が行われた際、大臣表彰などを受けられた市職員のみなさんとともに、山崎健一さん(住宅政策課=白作業服)、上田幸秀さん(北部下水処理場=黒背広)と私(里正善・土木建築総務課)3名に、「本来の職務の傍ら、NGO会議の準備・運営に奮闘した功績」に対して、伊藤一長市長より、身に余るお褒めの言葉をいただきました。


 このような評価をいただくことは予想だにしなかったことであり、職員が見守る中、顕彰していただくことに少しばかりちゅうちょもありましたが、一緒に頑張ってくれた市役所以外のボランティアのみなさん、困難な条件の中で集会成功のため連日連夜奮闘した永田事務局長はじめ担当部局職員への感謝・評価も含まれているものと考え、ありがたくお受けしました。