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戦争はイヤだ!新「ガイドライン」の本質を見誤るな。

しんぶん赤旗・1997/9/28 日本共産党大会・不破委員長の結語より抜粋

「ガイドライン」見直し──3年前、北朝鮮の核疑惑をめぐってなにが起こったか

 大会中に、「ガイドライン」見直しについて日米合意の発表がありました,この問題について、マスコミでも多くの論評、解説、批判がだされています。

 けさもある新聞に、ある知識人のたちいった論評の文章が掲載されていますが、「米国の軍事的行動に、参戦に近い密接な協力をする具体的な内容」のもの、何を有事とし、いつ、どういう規模で軍事行動するかは米国が決める。それに自動的に協力するという、いわば白紙委任状だ」、そういう批判からこの文章ははじまっていました(「朝日」九月二十六日)。大会での私たちの分析とも大きく共通するものがあります。

 このように、”自動参戦装置”という指摘が、マスコミの論評でも広い認識となりつつあることは、重要であります。

 またマスコミの論評のなかで、今回の「ガイドライン」見直しのひき金となったのは何かという問題についても、かなり一致した分析がおこなわれています。

 ある新聞が、アメリカのキャンベル国防次官補代理の”指針見直しは湾岸戦争と一九九四年の北朝鮮の核疑惑がきっかけだった”という言葉を紹介していましたが(「毎日」九月二十四日)、これは多くの報道が共通してみているところです。

 ここで私は三年前の一九九四年の北朝鮮の核疑惑をめぐって何が起こったのかということを、いま日米両国政府が「ガイドライン」見直しを具体化しつつあるその時点にたって、ふりかえってみたいと思います。

 あのとき、何が一体用意されていたのでしょうか。

 アメリカは、日本を足場にした大変な軍事攻撃作戦を計画していました。その内容について、三年前の六月、「ロサンゼルス・タイムズ」という新聞が、かなり詳しい記事を書いています(九四年六月十二日付)。「朝鮮有事」が現実になったら何が起こるかについて、この新聞はこう書きました。

  「日本に駐留するアメリカの戦闘機は、任務を遂行するため、昼夜兼行で飛行することになるだろう。在日米軍基地と太平洋のほかの場所のあいだに、巨大な空の橋を一夜にしてきずかなければならないだろう」。太平洋の米軍の基地と日本のあいだに、軍事物資、兵員を輸送する巨大な空の橋がかけられ、そして日本駐留の米軍部隊は昼夜兼行で戦闘機が活動する、こういう事態になる、ということです。

  「なんらかの戦闘が起きれば、初期の段階で、アメリカは急速にジェット燃料や予備部品、技術支援を日本に完全に依存するようになるであろう。日本の領空を無条件で使用することが必要になる」。「ワシントンが東京に求める品目リストは、出し抜けに出され、大量で、始末の悪いものになりかねない」。戦争の後方支援を、全部日本に依存するということです。

  「戦争勃発(ぼっぱつ)から数日以内に、ワシントンは、日本にたいしアメリカからの数百機の部隊輸送機や、数千トンの死活的に重要な補給物資を着陸させるため、札幌、新潟、東京の成田のような主要民間空港の定期旅客便の発着を停止させるよう、日本に要請しなければならないかもしれない」、つまり主要な民間空港は全部米軍用に取り上げることになります。

 この新聞はさらにつづけます。「さらにいっそうドラマチックなことは、数万人の米軍兵士が北朝鮮軍に壊滅されかねない気配が見えただけでも、クリントン大統領は考えられないことを考え、戦術核兵器を配備せざるをえなくなるだろう。ワシントンが日本領土への核兵器持ち込みをもとめなくても、そのような動きがおこれば、日本戦域におけるアメリカの核防衛手段の真相を覆い隠している政府の仮面の薄いベールはたちまちはぎ取られるだろう」。日本に核攻撃部隊がいるという真相がいや応なしにあきらかになるということですね。「アメリカの軍事行動の必要は、日本の核アレルギーと衝突するだろう」

  「ロサンゼルス・タイムズ」は、そういうことをずっと叙述したうえで、「日本の支援がなかったら、アメリカは朝鮮で戦争をたたかい、勝つことができない」と結論しています。

 これが「ロサンゼルス・タイムズ」の三年前、一九九四年六月の解説でした。

 これが一ジャーナリストの架空の話でなかったことは、この記事がその直後に、アメリカの太平洋軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプス」に抜粋・転載されたことからもわかります。これは少なくともここにアメリ力軍部の考え方、計画に合致したものがあるということの証明でした。

 もう一つ大事な事実は、アメリカの軍事作戦計画をめぐって日本とアメリカ政府のあいだに何が起こったか、という問題です。

 実は、去年、自民党の”国防族”に属する人で、閣僚の経験もある政治家が、アメリカ側と話し合ったあとで、マスコミの記者に語ったことですが、一九九四年当時、アメリカが朝鮮への軍事作戦をやろうと考えて、協力を日本に打診をしたというのです。ところが日本側がもたもたしてうまくいきそうもない、それで軍事作戦をあきらめ、カーター元大統領を北朝鮮に送って、話し合い解決の道を選ぶことにした、というのです。これもきわめて重要な事実であります。

 つまり当時は、アメリカの軍事介入作戦に協力する「ガイドライン」がなかったために、アメリカはやりたい軍事行動をあきらめて平和的な道を選んだ。では、[ガイドライン」がそのときあったらどうだったろうか。それを考えると、大変なことであります。

安保大改悪の危険性は、いつ日本と世界を直撃するか知れないもの

 私はこの歴史的な経過をふりかえるとき、三年前に、日本と世界の悲劇につながりかねない危険な事態が、まさにこの日本で進んでいたこと、しかし国民はだれもそれを知らなかったこと、そのこと自体が大変恐るべきことだということを痛感します。

 しかもその経過には、こんどの「ガイドライン」見直しの真相をしめす問題点が、明りょうに浮きぼりになってきます。

 第一に、いま、「ロサンゼルス・タイムズ」の記事で私が銃みあげたことは、全部「ガイドライン」にかんするこんどの合意文書に書いてあることです。「ガイドライン」見直しの合意文書では、きわめてさらりと書いてあります。たとえば、「有事」になったら日本が「後方地域支援」に参加するとある。たった六文字ですけれども、その六文字が現実に展開されれば、そこにはこういう恐るべき事態がふくまれてくるのです。「民間が有する能力の適切な活用」と、あたりさわりのない言葉で書いてありますが、成田、札幌、新潟などの空港、これは例としてあがっているのであって、主要な民間空港すべてを閉鎖して米軍専用にするということまで、「敵切な活用」のなかにさらりとはいっているわけです。私は報告で、「ガイドライン」見直しの諸項目は、すべて実際には戦争に参加する行為だといいましたが、現にたてられている米軍の計画に照らし合わせてみれば、事態はまさに報告したとおりだったということがわかるのであります。

 第二点。この三年前の事態は、朝鮮「有事」の問題をめぐっておこなわれたものですが、いますすんでいる「ガイドライン」見直しは、アジア・太平洋地域の全域にかかわっています。どこで何が起きようが、「有事」になったら、同じ事態が起きる、「ロサンゼルス・タイムズ」はこんなことになるんだ、日本の国民は覚悟できているかと書きましたが、そういう事態がただちに現実のものになる。こういうことであります。

 第三に、これはもっとも重要なことですけれども、私たちは、三年前の北朝鮮の核疑惑のときにも、問題の平和的な解決を国会でもおおいに要求しました。政府は、平和的な解決が望ましいという態度をとりました。しかし実際の経過では、アメリカ側が軍事的な制裁か平和的な解決かという問題があったときに、まず軍事的な制裁の方法を選ばうとして日本への打診をしたのです。しかし、「ガイドライン」がととのっていなかったためにそれができなかった。そしてやむをえず力―ター特使の派遣という平和的な解決の道を選ばざるをえなかった。それが三年前の真実でした。

 もし、あの時点で、「ガイドライン」見直しができていたらどうでしょう。アメリカは、そのとき、優先的に考えていた軍事制裁の道を、安心して発動することになったでしょう。日本の後方支援の体制さえあれば、アメリカの覇権主義は自分たちが必要と思う軍事作戦の道を、もっと大胆に、思いきって選ぶことができる。日米両国政府のあいだでも、そういう打診が現におこなわれていたわけですから。そして、日本が注文どおりに行動できないために、やむをえず平和的解決への道をえらんだのですから。この経緯は日米両国の指導者のあいだですべて周知であって、ここに「ガイドライン」問題をめぐる真実があることは、政府与党の常識になっているのです。

 私たちは、大会の報告で、こんどの見直しが、日米軍事同盟の大改悪であり、日本と世界の平和をおびやかすものだと主張しましたが、平和をおびやかす危険性とは、遠い将来のことではないのです。三年前にそういう瀬戸際にたたされたように、いつ、日本とアジアを直撃するかわからない、きわめて現実的な危険性であります。

 そこをよく見定めて、この問題にたいする国民的なとりくみに力をそそぐことが大事だということを、かさねて強調したいと思うところであります。


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