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上海訪問記

1998年10月21日付・しんぶん赤旗


上海名物  いまも健在

「老年ジャズバンド」

上海、和平飯店の「老年ジャズバンド」(林信誠記者撮影)



 


 【上海で林信誠記者】植民地時代に「租界と呼ばれた上海の雰囲気は、いまでも西洋風の建物が立ち並ぶ黄浦江西側の「ワイタン」沿いに色濃く残っています。

 中国にとっては屈辱の歴史の1ページでもありますが、建築以来70年以上たっている石造りの西洋建築物は、いまでは立派な文化遺産。上海市政府も保護や修繕に努めています。

 ワイタン沿いの一角にある「和平飯店」は、1926年に建てられた由緒あるイギリス風のホテルですが、今回、中国・台湾間の5年ぶりの対話再開の会場にも選ばれました。

 同飯店1階にあるバーのホールでは、毎晩「老年ジャズパンド」の演奏が響いています。「両岸対話」再開前日の13日深夜も、ホールは100人あまりの外国人客などでほぼ満員。租界時代に全盛を誇っていた上海のジャズは、上層観光の目玉の一つとして復活しているのです。

 この日演奏していたバンドの最高齢者はベース奏者の高共新さん(62)。4年前まで上海児童芸術劇院の音楽クラスの教授でしたが、定年退職以来、同飯店で演奏するようになりました。「隊長」の陳国章さん(54)も最近まで上海歌劇院の音楽教授でした。

 2人が激動の中国で「洋楽」の道を歩むことは容易ではありませんでした。「文化大革命」では外国の芸術は否定され、ぺ‐スやトランペットなどの西洋楽器を持っているだけで集団によるつるし上げを受けるおそれがあったのです。

  2人は楽器を土に埋めたり、天井裏に隠したりした、つらい思い出があると顔をゆがめて話しますが、過去について多くを語ろうとはしません。

 ホールでは台湾からきた報導陣ら数人も音楽と酒を楽しんでいます。「老年バンド」はさっそく「阿里山の姑娘(クーニャン)」など台湾の民謡や歌謡曲を演奏し、「台湾同胞」の喝さいを浴びていました。



 

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