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1997年2月からの新聞記事




97/2/1(長崎) 「中心碑」現地存続へ 長崎市長きようにも提案

 長崎市議会議長の私案が提示され新たな局面に入っている同市の原爆落下中心碑問題で、伊藤一長市 長は31日までに、移設計画に被爆者、市民団体らの反対が続く中心碑(三角柱)を、現在の爆心地公 園(松山町)の中心地点に残す方針を固めた。1日にも最終判断を示す。  関係者によると、市長は議長私案が提示された24日以降、計画に反対する長崎「原爆中心碑」問題 を考える市民連絡会の対応を注目、さらに市三役らと内部協議などを続けていた。  中野吉邦議長が示した私案は、市が中心地点に建設を予定している新モニュメント(母子像)と、反 対団体が存続を求める三角柱のいずれも、爆心地公園内の同地点以外の適地に設置、中心地点に造るも のは新たな協議会で検討する、としていた。しかし、同連絡会側は「三角柱存続」の主張を崩していな いため、市長はこのままでは混乱が長引くと判断、事態収拾の道を選ぶとみられる。  市、同連絡会ともここ数日、積極的に議長私案への対応を検討。市長の判断は同私案とは遼う形とな るが、中野議長の私案提示が市長の政治的決断による事態収拾を導いた。母予像は 同公園内の別の場 所に設置することを検討する。  市議会各派代表者会議と市長、議長、同連絡会代表による三者協議が1日相次いで開かれ、市長はそ の席で提案する。同連絡会は議長私案への対応のため二日に公開討論会、5日に総会を予定しているが 解決に向かう可能性が出てきた。

1997/2/2(長崎) 「中心碑」は現地保存 長崎市長表明 10ヵ月の混乱に終止符

 長崎市の原爆落下中心碑撤去・建て替え問題で、伊藤一長市長は一日、同市議会各派代表者会議と市 の撤去計画に反対してきた長崎「原爆中心碑」問題を考える市民連絡会に対し、中心碑(三角柱)を現 在地に残す考えを表明した。議会側も市の考えに理解を示し、同問題は解決。10ヵ月にわたった被爆 地長崎の混乱に終止符を打った。   【社会面に関連記事】  31日までに三角柱存続の方針を固めていた市長はこの日、同代表者会議で存続による事態収拾の考 えを提示、大筋の理解を取り付けた。これを受け、中野吉邦議長が同連絡会のの岩松繁俊世話人らに市 長の考えを伝えた。  その後、市長、議長、代表世話人らによる3者協議を開いた。伊藤市長は「混乱を来し申し訳なかっ た。(三角柱存続の)重大な決意をした」と述べた。岩松氏も「とにかくうれしい。円満解決は夢のよ うだ」とこたえ、中野議長、塩川寛副議長を含めがっちり握手した。  伊藤市長はその後の記者会見で、三角柱は手を付けずに残し、中心地点に設置予定だった新モニュメ ント(母子像)は爆心地公園内に建てる意向を示した。一方、岩松氏は民意を問う住民投票条例制定に 向けた直接請求を中止する考えを明らかにした  中心碑をめぐっては、市が昨年3月に計画を公表した後、「撤去反対」の声が上がり、市民団体や被 爆者団体、労組などによる住民運動に発展。市議会でも論議が繰り返され、市による反対署名の電算入 力問題なども起きた。  同問題では、中野議長が同12月、歴代中心碑を同公園内に保存することを求めた上で、市の計画推 進を支持したが反対運動は収まらず、先月20日から市と同連絡会の話し合いがスタート。しかし、同 議長が事態収拾は困難として同24日、三角柱、母子像とも中心地点以外に設置する私案を提示。これ を受け、最終的に市長が今回の判断を下した。  

解説 母子像、公園内の別地へ 「自ら引く」苦渋の決断・市長

 「これ以上、混乱を長引かせてはいけない」。原爆落下中心碑問題をめぐり、三角柱撤去反対の運動 が続いた被爆地長崎。風当たりの強さを肌で感じ始めた伊藤市長が、最終的に「自ら引く」という苦渋 の決断で解決の道を選んだ。  10ヵ月間の混乱が収拾した背景には、市議会サイドの勣きがあった。昨年12月5日の「条件(歴 代中心碑保存)付き計画支持案」と、先月24日の「議長私案(三角柱、母子像とも移設)だ。結果論 でいえば「議会の重み」(伊藤市長)は直接的な成果を見なかったが、このほか水面下での働き掛けも あり、今回の市長の決断に大きな役割を果たした。  一方で、市長の心が揺れ動いていたのも事実だ。市と対立した長崎「原爆中心碑」問題を考える市民 連絡会は、住民投票条例の直接請求の準備を進め、マスコミに届く声は圧倒的に「反対」が多かった。 こうした現実に加え「市長リコール運動」の声も聞こえ始め、市長の脳裏には2年後に迫る「2選」を 意識したのは想像に難くない。  道は長かったが、中心碑問題の混乱は収まった。同連絡会の代表の一人は「市民の声に耳を傾けてく れた。市民のための市長だった」と喜ぶ。これが行政本来の姿勢である。21世紀を間近に控え、被爆 地に「禍根」ではなく「教訓」が残ったことを今は評価したい。「全面和解」後の記者会見で市、市議 解、同連絡会の三者は「世界に平和を訴える使命を心置きなく果たすことができる」と固く手を取りあ った。新たな決意を実行に移すのはこれからである。 (報道部・池本仁史)

1997/2/2(毎日) 中心碑撤去案 撤回 長崎市 「市民の声、行政動かした」

 長崎市の爆心地公園の原爆落下中心碑撤去・母子像設置計画で伊藤一長市長は1日、撤回を表明。市 議会の了承を経て、計画に反対する市民団体代表に伝えた。団体側は全面的に受け入れ、問題は約10 カ月ぶりに決着した。この結果、市民運動の広がりの中で、中心碑は現在の場所に残り、母子像は公園 内の別の場所に移されることになった。  伊藤一長市長は同日、市議会の各派代表者会議で撤回を提案し、「このままでは解決できない。これ まで市政を混乱させて申し訳ない」と陳謝した。議会側には戸惑いも出たが、結局了承した。  市長は引き続き、撤去反対運動を続けている長崎「原爆中心碑」問題を考える市民連絡会(代表世話 人、岩松繁俊・長崎大名誉教授ら4人)に説明。連絡会側も受け入れを決めた。  中心碑はl968年に建てられた黒みかげ石製の三角柱。遺族や観光客らが千羽ヅルや花をたむけて きた。しかし市が昨年3月、文化勲章受章者・富永直樹氏作の母子像に置き換える計画を示し、議会で の予算議決を得た。   これに対し、被爆者らから「長年祈りをささげてきた墓標をなぜ撤去するのか」「偶像崇拝につなが る」などと反対運動が起こり、市民グループが全国約11万人の反対署名を提出。さらに計画の賛否を 市民に問うよう求める直接請求の準備も始まり、市議会議長が先月24日、市長と連絡会に「中心碑も 母子像も現在地に置かず、新しい協議会で何を置くか検討する」との打開案を示していた。  市民連絡会メンバーの平野伸人さん(県被爆二世教職員の会代表)は「中心碑存続を願う多くの市民 の声が行政を動かした」と喜んだ。

市長の”誤算”重い教訓(解説)

 伊藤市長が現在地に残すと方針転換しなければならなかった背景には、組織的な反対運動が一般市民 に広がる恐れがあったようだ。  県議出身の伊藤市長の政治手法は、よくも悪くも議会尊重。有力者への根回しを重んじ、水面下で了 解を取る。市民グループが11万人の反対署名を提出しても「市民の大半は賛成」と強弁し続けたのは 、計画を承認した議会の後ろ盾を過信。衆院選の投票率が5割を割る市民の政治離れもあり「反対運動 は特定の団体以上には広がらない」と、夕力をくくっていた気配がある。  しかし、市が署名簿を世帯別に電算処理したり、市長が署名簿を見て「なぜ署名した」と脅しとも取 れる電話をしたことなどが明るみに出て、局面は変わる。市民の漠然とした市政への不信感がさらに高 まった。  反対グループが「市民に賛否を問え」と直接請求運動の準備を始めると、賛同の声はそれまで運動の 外側にいた市民からも相次ぎ、グループのメンバーすら驚いた。市議会議長のほか、水面下では県も事 態収拾に動き始めたのは「下手をすると、市長や議会のリコールにまで発展しかねない」(県幹部)と の危機感からだった。    「議会の決定を尊重するのは、民主主義の基本」と伊藤市長。が、行政と議会が住民の常識からはず れ始めた時、普段は声を発しない市民も動き始める。オール与党化で議会のチェック機能が低下する中 、直接請求などの動きは加速しそうだ。その意味で伊藤市長の「敗北」は、長崎市だけでなく、すべて の自治体に重い教訓を残したといえる。 【長崎支局・潟永秀一郎、中澤雄大】

原爆中心碑撤去案撤回 「残った」「夢のようだ」 市側が完全に譲歩 市民連絡会大喜び

 「市民の声が後押ししてくれた」「夢のようだ」―。原爆落下中心碑撤去・建て替え問題は1日、伊 藤一長・長崎市長が母子像建立計画を撤回し、現中心碑が残ることで決着した。市側が完全に譲歩した 「ウルトラC」(市幹部)とも言える提案に、被爆者や市民団体メンバーは大喜びした。  伊藤市長は午前10時、市議会各派代表者会議に出席。「これ以上、中心牌問題で混乱が続くのはマ イナス」と今回の決断と、経緯を説明した。この提案に対し、自民、共産、公明は支持し、新進、社民 は難色を示した。委員から「(一度議決したことを翻して)認めるのは今後の議会運営に支障をきたす 」との意見も出たが、最終的に「議長私案に対する行政側の回答であり、真しに受け止めたい」と、全 会派が提案を受け入れた。  その後、中野吉邦・市議会議長が、長崎「原爆中心碑」問題を考える市民連絡会と会談し、市長案を 説明。正午前、3者が顔を合わせ、連絡会側が市長案を受け入れることで了承。固い拍手を交わして混 乱にピリオドを打った。  会見した伊藤市長は「これまでの計画も良かれと思い一生懸命やってきたが、1月24日の議長私案 がきっかけとなつた。熟慮を重ねた結果、大局的な結論を見いだした。富永直樹さんには理解を求める 」と述べた。  一方、市民連絡会代表世話人の岩松繁俊・長崎大名誉教授は「うれしいの一言、市長にとっては苦し い決断だったと思うが、円満に解決することができた。夢のようだ」。同じく竹下芙美さんは「もう少 し早い決断をしてくれたらよかった。支援してくれた方々に『残った』と伝えたい」と喜んだ。  連絡会が2日午後1時に予定していた公開市民討論会は、報告も含めて開催する。

真しに平和行政を

伊藤一長市長が従来の方針を180度転換して「現中心碑存続」を決断した背景には、「これ以上対 立が長引けば他の事業に支障が出る」と、今後の市政運営への強い懸念がある。  結果的に、撤去反対の被爆者らを安堵させることはできた。しかし市長の指示のもと、撤去推進のた めに働いた多くの市職員からはこらまでのあつれきは何だったのかたのか。これでは茶番劇だ」「市長 が英断したかに見えるが、本当は世論の力に押されただけ」などの批判の声が聞かれる。  解決までの10カ月間にわたる”市政の混乱”を振り返ると、市長の平和行政に対する「認識と見通 しの甘さ」ばかりが目立つ。  記者会見で混乱の原因を問われた市長は、おわびをしながらも「平和公園再整備委員会などで結論が 出なかったので、行政の責任で母子像設置を決めた。議会も『おかしい』と指摘しなかった」などと、 自らの責任を回避する言動があった。そこには、被爆者らの気持ちを真に理解しようとの気持ちはない ように聞こえた。  そもそも、問題の”根”は、原爆資料館の南京大虐殺など加害展示をめぐる混乱と同じ「密室での協 議」にあった。今回も幅広い論議を求めずに「行政の責任」の名の下で、母子像設置を決めたから、市 民は反発の声を上げたのだ。  市幹部によると、市長は「平和問題の一連のゴタゴタはいい勉強になった」と話しているという。市 長にはもう一度、混乱の原因を真しな態度で考えてほしい。それが真の平和市長への近道だ。 【中澤 雄大】

1997/2/3(長崎) 「市民の良識が勝った」「世論反映の行政運営を」中心碑存続 市民ら意見交換 長崎で報告兼ね集会

 三角柱の現地存続が決まった長崎市の原爆落下中心碑問題で、反対運動を展開してきた長崎「原爆中 心碑」問題を考える市民連絡会は2日、同市筑後町の県教育文化会館で「大いに語ろう原爆中心碑」と 題した市民集会を開催。行政、議会の在り方、被爆地の果たすべき役割などについて、市民らが意見交 換した。  同連絡会はこの日、中心碑撤去をめぐり公開討論会を開く予定だったが、伊藤市長が1日、同連絡会 と市議会に対し「中心碑存続」を表明。急転直下、問題が解決したため、報告を兼ねた市民集会として 開き、約110人が参加した。  参加者からは[市民の良識が勝った」「全市民が平和問題について考えてくれたのは大きな成果」「 この市民パワーを若い人が受け継いでくれれば」などの声が上がった。しかし、行政、市議会の在り方 については「これを教訓に、市民世論を反映した行政運営を」「市、市議会の体質は変わっていない」 「被爆者の思いが刻まれた中心碑の意味を市長に知ってもらいたい」「議員は平和問題について学ぶべ き」など多くの指摘が出た。  同連絡会は@今後の母子像の取り扱いA反対署名簿電算入力―などは今後の問題として残っていると して、「市当局の対応を注意深く見守っていきたい」とする声明を発表した。  また、県被爆二世の会(杉本雅親会長)は同日、撤去に抗議し中心碑周辺に植える予定だったパンジ ーを、同碑前に献花した。   ・

1997/2/3(毎日) 「市は真剣に受け止めて」 原爆中心碑問題で報告集会開く・市民から辛口意見相次ぐ

 長崎市爆心地公園の原爆落下中心碑の存続決定から一夜明けた2日、市民団体「長崎『原爆中心碑』 問題を考える市民連絡会」の報告集会が、筑後町の県教育文化会館であった。  被爆者をはじめ一般市民ら約l20人が参加。当初、撤去計画の賛否を問う公開市民討論会を計画し ていたが、存続が決まったため、急きょ参加者に「中心碑問題とは何だったのか」などの意見を求める 集会になった。出席を求めていた市長、議長らは欠席した。  冒頭、市民連絡会の代表世話人、岩松繁俊・長崎大名誉教授が「われわれの要求は実現したが、反対 署名簿の電算化問題などは解決しておらず、母子像をどこに置くかも知らされていない。率直な意見を 聞かせてほしい」と呼びかけた。  参加者からは「今後の行政・議会運営にとって大きな教訓となるはずだ。市長は真しに受け止めてほ しい」「”無用の長物”になった母子像は、市役所わき広場に置いたらどうか」など、市長や議会に反 省を求める意見が目立った。  同時に「直接市民に民意を問う住民投票など直接民主主義の動きも見いだせて、良い経験になった」 「被爆の実相がなくなる中、今度の盛り上がった平和運動のエネルギーを若い世代にどう結び付けてゆ くかが課題」などの意見もあった。  また、途中から撤去計画に反対した7市議のうち、柴田朴(共産)中村すみ代(草の根)大野泰雄( 社民)の3市議が出席。「予算審議時には中心牌への市民の思いを理解していなかった。市民感覚が通 用する議会にしなければならない」などと発言。広島市から駆けつけた金子哲夫・広島県原水禁事務局 次長は「市民の良識が行政に勝った。広島としても今度の運動に学ぶ点が多い」と述べた。

1997/2/3(毎日) コラム「西海評論」・思いこみの市政

 この10ヶ月、長崎市を騒がせた混乱が、ようやく収まりそうだ。爆心地公園の整備について、伊籐 一長市長は原爆落下中心碑を撤去し、母子像を新設する」方針を変更、現在の碑を残すことにした。住 民の声に耳を傾けた結果として、市長の英断を評価したい。同時に、2度と問じような騒動を起こさな いために、市長らには、今回露呈した問題点を検証し正す責任がある。  問題点の第一は”思いこみ″の市政がなされているという点だ。市民の声を聞き、市民にきちんと説 明し、市民の疑問に答えるというのは民主主義の基本だが、今回はそれらの手続きが省かれ「市民はこ う考えているに違いない」という思い込みで事が進められた気がする。  端的に表れたのが、11万人の撤去反対署名をつきつけられた時の対応。条例違反のコンピューター による分析までして「反対者は全市民の5・4%しかいない」の結論を導き出した。市長は「5・4% 」の主張を受け入れたのか?そうではあるまい。「5・4%」の裏にいる大勢の人に、ようやく気付い たと考えるべきだろう。  問題点の第二は、市議会がチェック機関として全く機能しなかったという点である。というよりむし ろ、市長の強硬姿勢をあおる役割すら果たしてきた。それに乗っかって市長は、議会でも、マスコミに 対しても「市議会で決議されたことだから」という答えを繰り返した。  ならば聞く。新しい像の建設が提案された昨年3月議会で、どれほどの論議が交わされたのか、と。 建設費用を個別に議会の承認が必要な1億5000万円に限りなく近い金額に抑え、予算案の1項目に 紛れ込ませた市のやり方に問題はあるとしても、議員はその時点で事の重大さに気づかなかったのでは ないか。気付いた時点で、なぜ市の姑息さを追及し是正しようとしなかったのか理解できない。  身近なところに先生がいるではないか。市の姿勢に疑問を持ち、インターネットで署名簿のコンピュ ーター分析についての賛否を問うた市の係長の勇気に学んでほしい。  第三点は、個人情報保護の問題だ。まず何より「署名簿のコンピューター分析が誤りだった」ことを 謝罪、市民にわかる形で責任の所在を明らかにしてほしい。うやむやな処置は混乱を肯定することにな る。  行政への情報の集中が今後も進むのは間違いない。個人情報を含むそれらの情報を、入手できる立場 の人が自由に活用できるとしたら・・・考えるだけで恐ろしい。一方で、市民参加の市政には情報公開 が不可欠だ。公開を促進するためにも個人情報保護条例の制定が急務だ。 長崎支局 加藤 信夫

1997/2/23(長崎) 中心碑問題を振り返る 共産党長崎市議団など 長崎でシンポジウム

 日本共産党長崎市議会議員団などは22日、長崎市内で「原爆中心碑問題を考えるシンポジウム」を 開き、三角柱(同市松山町の爆心地公園内)の現地保存が決まった同問題を振り返った。  市民ら約100人が参加した。三角柱の撤去反対運動に携わった長崎被災協の山田拓民事務局長、長 崎の証言の会の内田伯代表委員、平和公園の被爆遺構を保存する会の竹下芙美代表、長崎平和推進協の 今田斐男継承部会長の4人が報告者として出席。存続までの経過、中心碑への思いなどに触れ「正しい 行政運営が行われるためには市民の目が必要」「行政に対し物を言える市民に」「今後の母子像の取り 扱いには声を上げるべき」などと、一連の問題から得た教訓を語った。  中心碑の撤去・建て替え計画に反対する署名簿を同市が電算処理していた問題で、弁護士の原章夫氏 は「住所、氏名は個人情報であり、入力すること自体、明らかに条例違反。市は厳しく問われるべき」 と強調。「今後、包括的な個人情報保護条例をつくることが必要だ」と指摘した。

1997/2/23(毎日) 原爆中心碑問題を考えるシンポ 「市を監視」必要性訴え 平和行政、署名電算化などで

 長崎市が撤去計画を撤回した原爆落下中心碑問題を考えるシンポジウム(共産党長崎市議団など主催) が22日、長崎市の県自治会館であった。反対運動にかかわった被爆者ら5人が報告し、平和行政や署 名電算化問題などで市を引き続き監視する必要性を訴えた。  約l5O人が参加。柴田朴・共産党市議団長が「市の計画撤回は市民の意識の勝利であり、意義は大 きい。ただ、署名電算化問題と母子像の場所が未解決のままになっている」とあいさつした。  報告では、平和公園の被爆遺構を保存する会の竹下芙美代表が「爆心地公園の工事で被爆瓦や遺骨が 見つかったが、市は自ら収集しようとはしなかった」と市の姿勢全般を疑問視。僧りょの今田斐男さん は「公園整備で高さ6・6メートルの中心碑はすり鉢の中心に来て、外からは見えにくくなる。同じ公 園内に台座を含め高さ9メートルの母子像を置くのは問題」と、母子像の別の場所への設置を求めた。  また、原章夫弁護士は署名電算化について@プライバシーの侵害A思想・信条の自由の侵害B表現の 自由の侵害─の3点で憲法違反、と強調。「市は条例に抵触しないと言うが、抵触は明らか。市民が安 心して署名できなくもなった。全般的な個人情報保護条例の制定が必要だ」と述べた,

1997/3/22(毎日) 個人情報保護条例制定の請願 長崎市議会総務委員会 全会一致で採択

 長崎市議会総務委員会は21日、市民団体「いじめ解消ボランティアネットワーク」の松尾竹文代表 が提出していた「個人情報保護条例の制定を求める請願」を全会一致で採択した。  長崎市は「電子計算組職の運営に係わる個人情報の保護に関する条例」を定め、コンピューター処理 による個人情報については保護し、本人からの公開請求を認めている。しかし、それ以外の個人情報に ついては保護規定がなく、本人が請求しても非公開としている。  請願は、市立淵中の女子生徒のいじめを苦にした自殺の事故報告書などが非公開となった例を挙げて 「個人情報保護条例があれば、公開された部分があったのではないか」と、条例の早期制定を求めた。  市側は「コンピユーター処理以外でも、扱う個人情報には変わりがないため、制定を前向きに検討、 研究したい」と答弁。委員からも賛成意見が相次いだ。  ただ、市は「制定までには少なくとも3、4年かかるだろう」と話している。

1997/4/5(毎日) 市個人情報保護審議会  戸籍の電算化承認 長崎市19万件分 効率化優先、来夏稼働へ

 長崎市の伊藤一長市長の諮問機関「市個人情報保護審議会」 (会長、園田格・長崎大名誉教授、 12人)は4日、約19万件に上る戸籍事務の電算化計画を、県内の自治体で初めて承認した。昨年末 に表面化した原爆落下中心碑撤去反対署名簿の電算化問題の後だけに慎重意見も出たが、事務の効率化 を優先した形。  市によると、電算化計画は、市内の戸籍約19万件のすべてが対象。全国79自治体が既に導入して おり、導入効果は@届け出事務が現行1週間から半日に、謄抄本交付が現行15分が5分に短縮A市職 員約12人分の事務量削減B本庁・支所間の事務能力向上や、磁気ディスク使用による省スペース化 ――など。築町に建設中の「ながさき食卓文化館」で休日交付も可能になるという。市は来年夏の稼働 を目指している。  審議会は非公開で、各委員から「戸籍は最もプライバシーにかかわる。他の自治体の動向を見てもい いのではないか」などの意見が出たが「市民サービスの向上が見込まれる。国も法令化しており問題な い」との結論に落ちついたという。  また、峰繁紀・市企画部長が、中心碑撤去反対署名簿の電算化問題について、市の見解を報告。「署 名が思想信条にあたるかどうか国(自治省、総務庁)に尋ねたが『法的に明確な規定がなく判断は難し い』との答えだった。この件を一つの教訓ととらえ、今後は慎慎重を期したい」と述べた。 3月市議会で「個人情報保護条例の制定を求める請願」が採択されており、市は「(制定に向けて)前 向きに研究したい」との見解を示している。

審議「最初に結論ありき」(解説)

 長崎市が導入を決めた戸籍事務の電算化は、全国的な流れにある。国が1994年度に施行した「戸 籍法及び住民基本台帳法の一部改正法」を元に、既に79自治体が導入済みで「財源確保ができれば、 面倒な戸籍事務に悩んでいる全国の自治体もすぐにでも取り入れたいはず」 (市企画部)という”夢 のシステム”だ。  しかし、戸籍は個人の最もプライバシーにかかわる情報。問題化した原爆落下中心碑撤去計画の反対 署名簿を電算化した長崎市に対し、「本当に信頼して大丈夫か」との疑念は残る。市関係者は「国が厳 しいガイドラインを作っており、市には裁量権はないのが現状。それを言っていたら、今の戸籍事務だ って信用してもらえなくなる」と語る。  結局、市議会でシステム開発費の予算案だけを承認し、道義的な部分は市個人情報保護審議会に―― で諮ったのも、「最初から結論ありき。ガス抜きみたいなもの」(市関係者)だった。肝心の署名簿電 算化問題は諮問ではなく「報告」という形を取ったのが、この問題の難しさを端的に表した。  市民の信頼を回復するためには、市がうたう「市民サービスの向上」とともに早急な個人情報保護条 例の制定が求められている。       【中澤雄大】

1997/4/5(長崎) 戸籍電算化を答申 長崎市個人情報保護審 慎重な運用条件に

 長崎市個人情報保護審議会(会長・園田格長崎大名誉教授、12人)は4日開き、約19万件に上る 戸籍電算化に関する同市の計画について了承した。  市企画部が、1994年度に国会で可決された戸籍の電算化に関する法令や戸籍システムの安全性な どについて説明。これに対し、委員から「コンピューターの管理体制、安全性は」「時期が早すぎる」 「戸籍は個人情報。全国的な動向を踏まえながらでもいいのでは」など憤重な意見も出たが、峰繁紀企 画部長が「一元管理で事務処理も迅速化し、市民サービスの向上につながるため、少しでも早く取り組 みたい]と理解を求めた。同審議会は個人情報の慎重な取り扱いなどを条件に承認、同市に答申した。  同市市民諜によると、戸籍システムは現在、文章形式で記載している戸籍約19万1千件を電算化。 主な導入効果として▽届け出時の事務処理は約1週聞が半日に、謄抄本交付は約15分が5分に短縮▽ 11.5人分の事務量削減などを挙げている。来年8月からの導入を目指している。  また、長崎市が原爆落下中心碑撤去・建て替え計画に反対する署名を電算処理していた問題で、同市 は市電子計算組織の運営にかかわる個人情報の保護に関する条例に抵触するかについて、「自治体の判 断であり国が述べる立場でない」などとする国の見解を報告。「今後、個人情報についてはより慎重に 対応していきたい」と強調した。

1997/5/23(長崎) 長崎市の署名電算処理問題 「条例抵触しない」 質問状に市が回答 従来の主張変えず

 昨年、長崎市が原爆落下中心碑撤去・建て替え計画に反対する約11万人分の署名簿を電算処理して いた問題で、市民有志らでつくる長崎「署名簿電算処理」問題を考える市民の会(森口貢代表)から提 出されていた公開質問状に対し、同市は22日までに文書で回答した。  公開質問状は、電算処理は同市の「電子計算組織の運営にかかわる個人情報の保護に関する条例」に 抵触しているとした上で、伊藤市長にあらためて同問題に対する見解を求めていた。  回答書によると「署名者の正確な数値を把握するため住所、氏名だけを入力したもので、数値が出た 段階ですべて消去している。個人が特定される資料ではなく条例には抵触しない」としている。さらに 「市民に不安を与えたこともあり、今後、一つの教訓としてこれまで以上に慎重を期したい」と従来の 主張を繰り返している。  森口代表は「謝罪がなく、明確な答えになっていない。住所、氏名を入力した段階で思想信条の自由 の権利を侵害しており、今後二度とないよう確約がほしい」と話している。同市民の会は伊藤市長との 面談を申し込む予定。

1997/5/23(毎日) 中心碑署名の電算化問題公開質問状 「条例に抵触しない」 長崎市 従来通りの見解回答

 長崎市が原爆落下中心碑の撤去反対署名簿を電算化した問題で、長崎市22日までに、公開質問状を 出していた市民団体に対し、伊藤一長市長名で「署名数の集計に電算機を利用しただけで『電算組織の 運営にかかる個人情報保護条例』に抵触しない」とする従来通りの見解を回答した。  質問状を出した「市『署名簿電算処理』問題を考える市民の会」(森口貢代表)は会見で「『市民に 不安を与えた』と認めながら、謝罪の言葉が見当たらない。入力した個人情報を消去した証拠もなく、 近く市長に市民への明確な謝罪と、早急な『個人情報保喫条例』の制定を申し入れたい」と話しマいる。  市民の会は先月初め、市総合企画室に「市条例に抵触するかどうか、の見解を示してほしい」などと 申し入れていた。

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