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プロフィール

里 正善
(SATO Masayoshi)
1953(昭和28)年1月5日生
家族 妻、2女、1男、父母
住所 長崎市大浦町

私の生まれた町です。富江町

長崎県南松浦郡富江町山下郷で川口正喜の長男として生まれる。
小学校教員だった父の転勤に合わせて、五島内を転々としました。
1965年4月、中学校進学時に長崎市に引っ越し。
以来ずっと長崎市で過ごしています。

私の母校です。福江小学校

小学校4年から6年まで3年間を過ごしました。
4年生の時(?)福江大火があり、市中心部が焼失しました。
私は仲町の武家屋敷跡地区に住んでいて難を逃れました。

私の母校です。長崎大学経済学部

大学時代は演劇を趣味とし、遊びを友としました。
大学生らしい勉強を始めたのは4年になってから。 もっと勉強しておけばよかったと悔やんでいます。

私の職場です。長崎市役所

1975年4月採用ですから、勤続2になります。
所属した職場は、主税課、土地対策課、電子計算課、納税課、土木総務課です。

主税課
税務3課(資産税、市民税、納税)の取りまとめ、 収納管理と他の課に属さない税目を担当します。
私は収納係に属して、ゴム印で収納台帳の消し込みを4ヶ月間していました。
なおこの課は現在はありません。

土地対策課
地価暴騰を規制することを主な内容とする「国土利用計画法」を担当する課で
地価暴騰の発端となったのは、田中角栄元首相の著作「日本列島改造論」でした。
ここで2年1ヶ月過ごしました。
その後この課は消滅し、業務もいくつかの課に分れています。

電子計算課
それまで外部委託していた電算処理を、 自前のコンピューターを導入して処理するため1977年7月にできた課で、
ここには同年9月から1988年12月まで11年4ヶ月在籍しました。
使用したコンピュータは三菱製Melcom−Cosmo500、その後同700にリプレースしました。
「電算をやっていたならパソコン習得も簡単にできたのでは」、と思われがちですが、 汎用コンピューターはCOBOL言語を使い、
理詰めでものごとを考えなくてはならない、 全く違う世界という印象です。
担当した業務は、国民健康保険税、国民年金、市民税、母子福祉手当、市税の口座振替、 などです。
1996年4月「情報システム課」となりました。

納税課
滞納市税の納税指導、処分、整理を行う課で、1989年(昭和64年)1月1日より、103ヶ月勤務しました

土木総務課
1999年4月1日から勤務することになった5番目の所属課です。
土木部門の取りまとめ課で部内には他に道路建設課、道路維持課、河川課があります。
土木総務課はこれら各課の経理を担当するとともに、市道の認定、管理をしています。
私の属する占用係は、市道占用の許可や不法占用物件・行為の取り締まりをしています。
2000年4月1日より、建築課、設備課を加え(河川課は分離)、土木建築総務課と改称しました。


 

私はこんな趣味の持ち主です。PRIVATE PAGEをご覧ください。


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